エドワード・ヤンのビッグ・バン。始まりにもかかわらず、まるで「これが最後」かのような衝迫すら感じる。
既にすべてがここにある。
やつれてなお、生気を漲らせるシルヴィア・チャンの表情と、髪が、何より心に残る。
―― 濱口竜介(映画監督)

まるで世界が僕の傍で甦るかのようだ――
エドワード・ヤン、その原点。
1983年に発表された『海辺の一日』は、エドワード・ヤンの初の劇場用長編映画であり、同時に撮影監督クリストファー・ドイルの長編デビュー作としても知られる記念碑的作品である。この奇跡のようなデビュー作でヤンは、のちの『恐怖分子』『牯嶺街少年殺人事件』『ヤンヤン 夏の想い出』へと連なる主題――都市の変貌、世代間の断絶、家族の軋み、そして個人の記憶が現在をどう規定するか――を、すでに鮮やかなかたちで提示していた。
物語は、久々に再会した二人の女性の会話から始まる。そこから十三年の歳月をさかのぼり、記憶の奥へと幾重にも潜っていく構成は、単なる回想劇ではない。『海辺の一日』が特異なのは、出来事を順に説明するのではなく、ひとりの女性の意識と記憶の流れに沿って、過去が波のように立ち返ってくる点にある。現在の会話をきっかけに、少女時代、恋愛、結婚、そして失踪した夫をめぐる記憶が呼び戻され、ひとつの人生が幾重もの時間の層として立ち上がっていく。そうした意味で本作は、エドワード・ヤン初期におけるきわめて成熟した“意識流”映画とでも呼べるものである。
ヤンは、現在と過去、複数の視点、そして語られなかった感情を精密に編み込みながら、一人の女性の人生を通して、急速に近代化していく台湾社会のひずみを浮かび上がらせる。恋愛と結婚の物語として始まりながら、やがてそれは、父権的な秩序のなかで「自分の人生を生きる」とは何かを問い返す、静かで鋭いドラマへと変貌していく。台湾ニューシネマの胎動を告げたこのデビュー作には、後年のヤン映画を決定づける時間感覚と感情の強度が、すでに刻まれている。
SYNOPSIS|あらすじ
佳莉(ジャーリィ/シルヴィア・チャン)は、小さな町の医師の娘として、親への服従を重んじる伝統的な価値観のもとで育った。父の権威に逆らえず、愛を失っていく兄・佳森(ジャーセン/ミンシ・アン・ツォー)の姿は、彼女に深い衝撃を与える。やがて佳莉は、父が望む結婚を拒み、同級生の徳偉(ドゥウェイ/デヴィッド・マオ)との結婚を選んで家を出る。
一方、佳森の元恋人である蔚青(ウェイチン/フー・インモン)は、留学先のオーストリアから帰国した才能あるピアニストとして活躍していた。佳莉の自由な決断に憧れを抱いていた彼女だったが、佳莉の結婚生活は、次第に理想とかけ離れたものになって いく。
ある日、佳莉は警察に呼び出され、海辺へ向かうことになる。そこで彼女は、夫との歳月、自分が選んできた人生、そして見ないふりをしてきた感情と向き合い始める。過去をたどるなかで、彼女の中に封じ込められていた時間が、少しずつ姿を現していく。
エドワード・ヤン|プロフィール
1947年11月6日に上海で生まれ、1949年2月に家族と共に台北に移住。1953年から小学校に通いはじめた。1959年に、建国中学校の夜間クラスに入学し、翌1960年に念願の日中クラスへの編入に合格。夜間クラス通いの同級生茅武が別れた彼女を殺害したことで、当時の一大ニュースとなった。茅武と共通する友人を多く持つエドワード・ヤン少年にとっては、ショッキングな事件であった。自分も茅武になる可能性があったと述懐している。この実体験は、のちに傑作『牯嶺街少年殺人事件』で鮮明に描かれた。
1962年に建国中学校を卒業し、建国高校の3年間を経て、1965年に国立交通大学の制御工学専攻に入学。1969年に学士号を取得した後、アメリカのフロリダ大学に進学。1974年に電子工学の修士号を取得した。さらに映画を学ぶべくUSC(南カリフォルニア大学)に通うが、当時のハリウッドに範を置いた教育方針に反発し、ほどなくして退学する。以後はシアトルにあるワシントン大学で、コンピュータ関係の仕事に約7年間従事した。さらに、ハーバード大学の建築コースなどのオファーを受けたものの、映画の夢を捨てきれず辞退。1981年に、友人の誘いで台湾に戻り、ふたたび映画を志す。1969年から1981年まで、エドワード・ヤンは約13年間アメリカの各地で暮らしていた。この経験も、1983年の長編映画デビュー作『海辺の一日』で、女性ピアニストの林蔚菁によって代弁される。
『海辺の一日』の以前にも、エドワード・ヤンは映画制作にすでに携わっていた。1980年に、映画『1905年的冬天』の脚本を執筆した。それから女優のシルヴィア・チャン(張艾嘉)と知り合い、その誘いを受け、テレビ映画『十一個女人』(1981年)の一話『浮萍』(浮草)を監督することになった。1982年に、三人の新人監督とともに、台湾ニューシネマの嚆矢となるオムニバス作品『光陰的故事』で、映画監督デビューを果たした。
そのほかに、台湾芸術学院(現在は国立台北芸術大学)の演劇コースで若手俳優の育成に力を入れた。その学生の多くは、『牯嶺街少年殺人事件』のスタッフや俳優として活躍していた。また、演劇にも興味を示した。1992年に舞台劇『如果』、1993年に舞台劇『成長季節』をそれぞれ監督し、同じく台湾芸術学院の学生に主演を務めさせた。二つの舞台劇が『エドワード・ヤンの恋愛時代』の先駆けとなった。1997年に舞台劇『九哥与老七』を監督。2000年に『ヤンヤン 夏の想い出』を発表し、カンヌ国際映画祭の監督賞を受賞した。同じ年に大腸癌が検出され、9月には男の子を授かった。その後、アニメーション制作に乗り出し、ジャッキー・チェンをモデルにするアニメーション『追風』の企画を立てたが、完成に至らなかった。癌と闘病しながら、アニメーション『小朋友』の絵コンテの執筆など、創作活動を最後まで続けた。2007年6月29日に、惜しまれつつも癌でなくなった。59歳だった。
STAFF|スタッフ
脚本 ウー・ニェンツェン(呉念真)
1952年台北県瑞芳鎮生まれ。
1967年基隆中学校に進学。卒業後に家計のため、薬局でアルバイトしながら高校に通う。1976年に輔仁大学會計コースの夜間クラスに入学し、小説の執筆を始める。長らく台北市療養院附属図書館で勤務するが、1980年に、中央電影公司社長の明驥の誘いで、中央電影公司の制作企画部に転職。台湾映画最高賞金馬賞の最優秀脚本賞を5回受賞。作品集『台湾念真情』などを出版。父親の半生を描く作品『多桑』(1994年)で映画監督デビュー。そのほか、舞台劇『人間条件』シリーズを監督、『ヤンヤン 夏の想い出』にNJ役で出演。
撮影 クリストファー・ドイル
1952年オーストラリアのシドニー生まれ。
18歳から船員として世界各地を放浪。シドニー大学文学部、香港中文大学新亜書院、メリーランド大学美術コースに在籍したことがある。1978年台湾に渡り、テレビ番組の撮影と編集を担当。1983年に、エドワード・ヤンの強い推薦で、『海辺の一日』の撮影に抜擢。1990年に、ウォン・カーウァイ『欲望の翼』の撮影を担当して以来、ウォン・カーウァイ監督の作品に長期にわたり携わる。
『海辺の一日』を撮影する際に、照明のことを全く知らないクリストファー・ドイルは、しばしばエドワード・ヤンの不興を買う。肝心な海辺のシークエンスの撮影を巡って、エドワード・ヤンと喧嘩し、泣きながら現場から去っていったという逸話も残っている。
撮影 チャン・ホイゴン(張 恵恭)
1943年生まれ。1972年の台湾語映画『可憐的酒家女』で映画撮影を初担当。その後、撮影アシスタントとして中央電影会社に入社し、1977年に撮影技師に昇格。1992年までに、30本以上の映画の撮影を担当し、多くの監督の下で仕事をしてきた。1992年に、中央電影会社の人事異動でテレビ部門に配属となり、以降はドキュメンタリーの撮影を専念する。2002年に定年退職。
『海辺の一日』の撮影に関して、エドワード・ヤンは新人クリストファー・ドイルの起用を強く希望するが、中央電影会社の上層部は年長のチャン・ホイゴンを指名。争いの結果、二人とも撮影に参加することとなった。クリストファー・ドイルがエドワード・ヤンと喧嘩するたびに、チャン・ホイゴンに撮影が任せられたという。その貢献が認められたか、エドワード・ヤン本人の誘いで、『牯嶺街少年殺人事件』の撮影を担当。
CAST|キャスト

林佳莉役 シルヴィア・チャン(張艾嘉)
1953年台湾生まれ。
台北アメリカ学校卒業。13歳でアメリカのニューヨークに留学し、1969年に台湾に戻って芸能人としてデビュー。1976年にアルバム『惜別』を発売。1981年に台湾のシンガーソングライターのルオ・ダーヨウ(羅大佑)が作詞作曲の『光陰的故事』を発表。
1973年に香港の映画制作会社嘉禾と契約し、『龍虎金剛』などに出演することで女優として注目される。1986年に『最愛』を監督。それ以来、『少女小漁』(1995年)『20 30 40』(2004年)など、10作品以上を監督。
『海辺の一日』の撮影に関して、エドワード・ヤンと制作会社の中央電影会社が揉めていたため、企画部門リーダーのシャオ ・イエー(小野)の斡旋で、シルヴィア・チャンが主導する新芸城映画会社台湾支社も制作に加わった。そのおかげで、エドワード・ヤンが強く求めたクリストファー・ドイルの起用も実現された。

譚蔚菁役 フー・インモン(胡茵夢)
1953年台中市生まれ。
1971年に輔仁大学ドイツ語コースに入学。1973年に中退し、アメリカに留学。1975年に、映画『雲深不知処』に出演。1980年に、台湾の作家李敖と結婚するものの、4ヶ月も経たないうちに破綻。1980年にエッセイ『胡言夢語』、1982年に『茵夢湖』、1999年に自伝『死亡与童女之舞』(死亡と女の子の舞)をそれぞれ出版。1986年に映画界からの引退を表明し、以降は宗教や占星術関連の著作の翻訳に力を入れる。

林母役 メイ・ファン(梅芳)
本名廖春梅、俳優。1936年台湾生まれ。
幼いごろから父親に連れられて梅蘭芳の演劇をよく見に行ったため、芸名に梅芳を選ぶ。台湾でよく使われる三つの言語――中国語、台湾語、客家語を自由に操る。1980年から多くのテレビドラマに出演。映画作品では、よく母役とおばあさん役を演じる。2008年に金馬賞の最優秀助演女優賞を受賞。

欣欣役 リー・リエ(李烈)
1958年台湾生まれ。
世新大学に通い新聞記者を目指すが、1979年に、映画『小城故事』に出演したことをきっかけに、女優への道を歩む。その後、テレビドラマにも多く出演した。『海辺の一日』で共演する毛学維(程徳偉役。現在はフランス料理人)と結婚するが、ほどなく破綻。さらに投資の失敗を経て、シンガーソングライターのルオ・ダーヨウを頼って再婚するが、その結婚生活も長く続かなかった。『モンガに散る』(鈕承澤、2010年)と『周処除三害』(黄精甫、2023年)をはじめ、厳しい制作環境の中で多くの映画作品を送り出し、台湾映画を不況から救い出したプロデューサーとして、高く評価されている。近年では『光にふれる』(張栄吉、2012年)などにも出演。


COMMENT|コメント
※敬称略
エドワード・ヤンのビッグ・バン。始まりにもかかわらず、まるで「これが最後」かのような衝迫すら感じる。既にすべてがここにある。やつれてなお、生気を漲らせるシルヴィア・チャンの表情と、髪が、何より心に残る。
濱口竜介(映画監督)
潤沢な資金などあるわけもなく、若い友だちが老けメイクで出演している風なのにどうしてこんなにも自由で切実でかっこいいのか。ここから伝説が始まる……すごい!
三浦哲哉(青山学院大学教授/映画研究・評論)
















